桜がキレイな日に起きた不思議
3日木曜日はお休みでした。
凄く良いお天気で気持ちの良い日だったので、友だちと一緒にお花見がてら家の近所をブラブラ。
桜キレイだった~~(*´ω`)
桜のある公園ではお弁当を広げてお花見をしている人もチラホチいたり。
いやぁいいね~日本の春❤
この日は不思議な日で、帰りにコメダでお茶をしてたら、その友達と共通の知人にバッタリ再開したではありませんか!
十数年?いや二十年ぶりとか?
再開した知人は私とその友達の過去に深く関わっていた人で、いつも話しにのぼれど今は全く繋がりが切れていて、いつも気になっていた人だったのです。
たまたま隣の隣の席に!?そんなことある?
たまたま入ったコメダでよ!?
今何してるのーーーー?と
あれからの長い時間を三人で振り返りながら、話しに花を咲かせたのです。
二十年?も前のその時は、未来がどうなるかなんて確信ないまま進んできてる道だけど、
今回の再開で、三人が歩んできた三者三様の道と今の生活を報告し合って、長いスパンをひと固まりにして俯瞰して見ることができたおかげで、思いがけず『自分の選択とその結果の今』と向き合うことができました。
人生では、まさか自分が選択したとは思えないような出来事が起きるし、大人になれば沢山の分岐点で選択を繰り返していくのだけど、選択をした後も『これでいいんだろうか』とここではないどこか他のところにあるだろう本道をずっと探し続けているような気持ちが私の中に常にあって、それが焦りや不安になっていたり自信の無さにもなっていたのですね。
今回再開した三人の今は、やはり三人がそれぞれに望んでいたことが叶っていると確信したのです。
表面的なカタチというより、その本質において手にしたいものを手にしているんだなあ。
望みはちゃんと叶っている。
そう思えたら、歩いてきた道も今いるこの場所もいつも望んでいる道ど真ん中なんだ、そこからはみ出たことなんてないんだろうなと思えたのですよ。
今がどんなでも、誰にも間違ったことなんて起きっこないのかも。
『これでいいんだろうか』という焦りも不安も自身の無さも、そんなものは全く必要ないことでした。
不思議な安堵感と幸福感です。
自分の心のでっかい枷が外れた気がします。
三人三様歩んできて、三人三様今の生活があって、その道がこうしてまたここで交差して。
これも意識できてはいないけど、どこかで選択したことの現れなのかなあ。
ここから始まる道もまた、どちらに進もうが何を選ぼうが正解なのだね、きっと。
今回のことは、私にとって大きなギフトでした。
実はこのコメダに来たのは、花見をしながら車を走らせていた時に、道で転んで頭をケガしたおじさんに呼び止められて駐車場まで乗せてと頼まれて、そのお礼にと千円いただいたのでコメダでお茶をすることになったからなのです。
あのおじさんは、桜の足立山の神様?または御遣い??
桜の花のキレイな日に起きた不思議な出来事でした。
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