何もせずに腰痛が消えた、の巻
先日、
アクセスコンシャスネスの3dayBodyのクラスに参加してきた。
5年前に初受講しているので、これで二回目の受講になる。
この5年間で、テキストのボディプロセスは、半数以上は新しいものになっていた。
時代とともに変化するアクセスコンシャスネスなので、このテキストを見るだけでも時代の変化の早さを感じるな~
さて、『腰痛』だけど、
約十数年前にギックリ腰をしてから、
ずっと悩まされている、いや、“いた”(過去形)。
私は体にリウマチのような痛みがある、いや、“あった“(過去形)。
消えた。
まじで。
クラスが終わって一週間ほどが経った日の夜、
いつものように腰が痛いなぁと思いながらベッドに入り、本を読みながらウトウトしていた時、
『あれ?これ、ほんとに腰痛!?みんながこの状態を腰痛と言ってるから、腰痛なんだってことにしてるんじゃ!?わざわざ合わせてるとか?
ただの思い込みで、もしかしたら本当は違うとか?
だったら、これいったい何よ?』
そんなことを閃き(?)ながら寝てしまった。
その次の朝、腰痛が無くなっていたのだよ。
ボディと共にコンシャスネス
を持つ必要があるよ。
さもなければ、
完全に変化すること
はできない。
コンシャスネスなしでは
ひとが現実と呼ぶ制限を
カラダに閉じ込めることになる。
ギャリーダグラス
(アクセス・コンシャスネス創始者)
『腰痛』という名の『制限』?
コンシャスネスであれば
『腰痛』=『制限』から出られる?
ボディプロセスで、ワタシと体がコンシャスネスになり、『腰痛』を『腰痛』以外のものに変えられた?
普段私たちは、
不快を消すことや不足を補うことなどに意識を向けてしまうけど、
消そうとすればするほど、
補おうとすればするほど、
この現実に不快や不足を現し続けることになるね。
願望とか希望とかの呼び名で行われるそれらは、
自分をより苦しめているのかもしれない。
腰痛が消える体験があってからは、
何か好ましくないことが目の前に現れても、
これは最終形態ではないし、
このカタチ(現)でなくてもいいのかも、と
自然に思うようになった。
他の可能性の探索へと方向を変えられている。
『これいったい何よ?』 の答えは相変わらずわからないままだけどー!
不安も全て
可能性に変えながら
このカタチのその先へ〜
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