お盆が終わりまして
お盆の遠隔ヒーリングを企画して、
めちゃめちゃしんどくなる、という体験をくぐり抜けながらも無事終了。
そしてその後の我が家でのギフレシ会(バーズの交換会?練習会?)では、私にとってなかなか象徴的な展開になり。。。
この、コテコテに濃かった二か月ほどの体験を顧みながら、自分と向き合ったのです。いや、向き合わないとやってられんくらい濃かった。
そして気付いたことがあって。
この気付きで、このお盆シーズンをようやく終われそうです。
しんどいのは
私が握りしめているからなのだ。
そしてそれは、真実の自己が望んでいることではないのだ。
つまりはたぶんそういうこと。
ストーリーの中では、
自分が被害者だという立ち位置(視点)からの解釈をしている。
でもそのストーリー、もっともっと引きで全体を俯瞰して見ると、
被害者で居続けたいという欲求・意図が見え隠れする。
被害者という立場でしか自分を見れないのは、
加害者である誰かや何かを許したくないから。
正当化したい恨みや怒りがあるよね。
私たちはどこかでわかってると思う。
その頑なさ=執着をほどけば自由になれるってことも、
その頑なさをほどくのは『許し』でしかないってことも。
そんな構図をひしひしと感じたし、
そうは言っても、当事者にとってはきっとそんなに簡単な話しではないのだろうということは容易に想像できる。だから、許しなさいよ、とも言えない。
ただ、
絶対許さない、っていうのは、相手だけでなくて、
実は自分自身をも苦しめていて、
自分の体も心もめちゃめちゃ傷ついてしんどくなっている。
そして。。。
本当の自分というものは、自分の中にある智慧みたいなところは、
きっと自分自身を傷付けることは望んでいないし、
その苦しみから解放できるのは、自分でしかないってことも知っている気がする。
(罪を憎んで人を憎まず・・・という言葉は誰が言ったんだっけ?)
今回のお盆のゼニスの遠隔は、
霊的な存在になってもまだ苦しみを抱えている存在たちに向けて、
本当の自分に戻って、本来の自分が持っている智慧~本当の自分を慈しみ愛するということ~を思い出して、自らその苦しみからの解放に向かえるようにという願い?思いから行ったのだけど、
当然、自分自身の中にあるそういう被害者意識みたいなのが共鳴するわけやん?
めーーーーちゃしんどかったっす 泣
でもおかげで気付きをもらえたし、私も解放されたよーーーー!
厳密に言えばまだ解放中ーーー
ゆっくり丁寧に、癒していこ❤
めーーーちゃでかいテーマでした!!
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