人を喜ばせたい、について
今日、こんな質問をされた。
「人に喜んで貰いたいたい。それってダメなの?」
その時、自分がどう思っているかわからなくて。
うまく言葉にできなかったんよね。
それからそのことをずっと自分に問うていた。
で、わかった私の考え。
「誰かを喜ばせることの中に、自分を犠牲にすることが含まれていたら、それは私の真実でないかも」
いろんな考えがあるけど。
それが尊いっていう人もきっといると思うし。
こう書くと、好き勝手やっていいんだー!みたいなことにとかく人は走りがちだけど、私の考えはそういうことでもなくて。
実際の行動というよりは、『意識』の在り方って感じでさ。
実際に誰かのために動いた時間は、自分の時間を使うことになって、それが『犠牲』になるか『喜び』になるかは、きっと意識の違いなんじゃなかろうか。
意識の違いが、『犠牲』と『喜び』の違いを生む。
誰かのために時間を使った、という事実しか目には映らないから、その時の意識がどうなのかなんて外からは全くわからないけど。
でも自分だけははっきりわかっているはずで。
私の場合、「誰かを喜ばせることの中に、自分を犠牲にすることが含まれている」という意識を正直に見た時に、なんとなくそこに取引きとかコントロールとかを感じるし、自分を十全に生きている感触とはズレているような気がした。
そういえば、
『人の為と書いて偽りと読む』って言ってた人がいたけど、それはきっと自分が自分を偽っている感じのことなのかもしれんな、なんて思ったりもしている。
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