欠乏神話
常に証明を求めて、目が心が、外に向かう。
何かで証明されたように見える平安は、わたしの求める平安ではない。
外に証明を求める心の根っこには「欠乏神話」がある。
だから欠乏が『何かで埋められた』と思った瞬間に欠乏する。
だって根っこは『欠乏』だからーーー。
たとえ神話であってもね。
ただの神話なんだけど、深ーいところで真実だと思い込んでる。
深ーく深ーく。細胞の隅々まで染み込んでるんだよな。
何かを求める心の根っこが『欠乏』だと気付いたら、
次は、その神話(欠乏)を証明して生きていきたいか?
それを求めるか?ってことだけかな。
わたしはこの気付きから、何を求めよう?
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