反射的現実の融解
※ この画像は、内容と全く関係ありません。書くまでもないか!
めちゃめちゃスピスピしてしまう予感。。書いてみよ♪
意識のグラデーションが
ぐぐぐーーーーーーーっと
‘’源‘’に向けてスライドする。
ワンネスとかさ。
分離の終わりとかさ。
もしかして、そういうやつ?
それは、努力して向かうべきどこか別のところにあるんじゃなくて、
「意識」のチャンネルをすすすーーーーとスライドさせるだけっていうか。
ボリュームのダイヤルを何個か動かすっていうか。
この意識のチャンネルが、『源』ってとこに行くと
全ての解釈(モノの見方)が違ってくる。
現実の全く違った面が見えてくるんだなーーー
自分の真実の声が聞こえてくるっていうかさ。
きっとたぶん、この真実の声って、
『ガイド』とか『内在する神』とか言われてきたものかも。
これたぶん全部自分のバージョン違い。
『ガイド』が私の外側に、私と別個に居るのでないね。
これと同じで 『内在する神』 もな。
(ちなみに外側の‘’神‘’のこととは違うことになるかと。)
私の意識のありどころ次第で、この現実の見え方は変わるし、
とらえ方も変わる。
そうなった時に、この現実の違った次元が姿を現す、というかその姿を見ることができる。
制限だらけだろうか?
それとも可能性だらけ?
ちなみに。
私、とある朝、
「遺伝はない。癌で死ぬことはありえない」
というメッセージが頭の中に響いたのよ。
いつも通りの意識の中でこの言葉を聞くとどうなるかっていうと、
『これ、誰かに伝えるメッセージとか?』
『私、癌なんやか。検査に行けとか?こわーい』
くらいなもんで。
で、このプロセスをして意識がぐあーっと広がった後にそのメッセージの解釈がどーんときて、
『死とは自分を生きていないことを言う。そういう意味で病気があなたを殺すことはできない。』
『自分とは、遺伝の中に閉じ込められた肉体的性質のことではない』
っていうふうになった。
うーーーーん。
なんかね。ホッとしたのよ。
肉体的な死、に対するジャッジがまだまだ私の中にあって、その拒絶感から死してしまう肉体的な自分に絶望してた。それはイコール『生』を手にできない。
この気づきから、ようやく、ようやく、朽ちていく肉体としての自分の部分も受容できたっていうか。
そして、それを超えた自分というものもめちゃめちゃ意識されて『生』が全く違ってきて、これが新たな希望にもなった。
自分の中に、こんな視点があるとはねぇ。。。
長々と書いちまったぜ。
ご清聴ありがとうございましたぁ!
さらにしつこく、最期に。
この長い文章の中で、何が一番私を軽く明るくさせたかというとね、
そんな意識が、ここではなくどこか別の遠い場所にぽつんとあるんじゃなくって、
今の意識とひと続きだっていうところなんだなぁ。
自分の足元をみれば、自分は繋がっていて、その場所にいつも居たんだってところ。
自分の抱える無意識の孤独感みたいなのが癒されたのよ。
この孤独感、もしかしたら
競争とか、戦争とかに向かう原因にもなってるかもね。
0コメント