最近のワタクシは・・・
ここのところ、実家とのやり取りをすることが多い。
普段は離れているゆえに、家族とてあまり触れ合わないし、生活が違うと話し合わなければならない案件もほぼ無かったりする。
それが今、家族全体の決め事でちょっと交流が増えていて、こうなるとみんなそれぞれの考え方が交差して、ちょっと面食らうね。
まー私においては、実家の決め事とて普段そこで生活していないから、たいした発言権もなく。
話し合いのようでいて、ただただ、へーーそうするんだ、はいわかりました、しか言うこともすることもないけどね。
ただただみんなの考えを聞いてるだけなのだけど。
そんな風に、前々から『聞き分けの良い』感じのスタンスだし、家族みんなも私のことはそう思っていると思う。
百人いれば百通りの考え方、と、割と“違い”ってことには大らかな方だと思うんだけど、
え?どうしてそうなった?そんなふうに考えるわけ? とかさ、
聞き分けの良い私も今回はちょっと考え込んだりして、眠れない日もあったりして。。。
家族のクセというか、家風っていうの?あるなーって。
その中に居た時はそれが身に沁み込んでいて、案外自分もそうだとは気付きにくいもの。
今回の話し合いで、違和感を感じたのよね。実家風な考え方、なんてものに。
この家らしいなーって。
そして私はそうではないって。
さて、今回の実家との話し合い。
実は母が亡くなって、それでいろんなことを決めていたのです。
私の中ではっきり気付いたのは、
実家風な考えでいた時の私は、母のためにそうなっていたのだってこと。
私にとって実家は母そのもので、母のために良い子でいたのだなーって。
母が亡くなってからプッツリと、違和感を持つことに遠慮しなくなっている。
実家風にめちゃめちゃ違和感を、正々堂々と違和感を持っていて、自分でも驚くほどなのだ。
だからキライとかはなくて、ただ「私は違うなー」と違う自分を認められている。
「違う」ということは、母の良い子でなくなる=母の愛を貰えない、無意識の内にそう思って「違う自分」を恐れていたのだね。ほんとうは「違う自分」をダメとしていた。
不思議なんだけど。
そんなストーリーを生きていた自分と、本当はそうではない自分の、二つの自分を今感じている最中なのだ。
『そうすべきだよね』という自分も居るし、はっきり『私はそうは思わない』という自分も。
その二つの自分が交互に現れるのをただ認めている。
たぶん自分がシフトしている最中な気がする。全てにおいてこんな感じ。
今回のことは、象徴的かつ核心をついた流れ・出来事だったように思う。
今は無理に『こうであるべき』にはめ込むことをせずに、これからここから、どこにどう向かっていこうとしているのか、自分にしっかり向き合っていようと思っているところ。
はーーーーー
いったい何が起きてるのかね。
みんなはどんな感じかな。
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