スランプから抜けたないとう
だいたい過去生を見たりすると
なぜかメソメソシクシクした人生に行き当たる。
そして、その感情を癒しましょうとなるんだけど。
それさ。
そのメソメソシクシクって本当?
例えばね、
ないとうさんの過去生の
聖職者として生きて最後は殺されて死んだ殉教者としての人生
それ、しばらくは(正直、すっげー長いこと)
救ってくれなかった神への恨みを癒そうとしていたのだけどね。
それさ、
神『どんな人生にしたいーーー?』
な『はーーーーい!私、殉教者やりまーーーす!!最も過酷な人生、行きまーす!』
で、そうなったとしたらどうよ?
死んだ瞬間、
『やり遂げましたー!みっしょんこんぷりーーーーーと!!あーーースッキリ♥』
だったら?
そんなもんです。
モノの見方って。
それに気付いたら、傷は消えます。
傷は錯覚だから。
私たちは、傷があるというモノの見方にとりこまれているだけ。
主体を失ったと思っているけど、失ったことなんてない主体に気付けば
その主体が勝手に傷を癒していくね。
つまりないとうさん。
その目覚めで
ながーーーーーーーーーーーーーーーーいスランプから
抜けたのであります。気付いてしまえばかんたんに❤
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