定義
定義に右往左往。。
そもそもの話し、
定義のある場所がどーなんよ?
定義の効力は?
定義はそんなに大事なのか?
とか言うわたしは、
愛の定義に右往左往していたのさ。
『わたしが、公平さや善良であることとそのジャッジを握りしめている。』
そんな世界(ユニバース)を支えている『愛の定義』が見えてきたのだよ。
なんか、ジャッジとかより、定義の方が盲点に入りやすいという印象。。
定義って、ただの定義なのに、公式とか法則くらいの絶対的な思い込み感がある。
定義を変えれば、とか
ジャッジから解放されれば、とかって四苦八苦するけど、
定義が効力を持つ世界がリアルなのか?
その世界を生きたいのか?っちゅー話しになった時、
定義やジャッジの内容や、それを変化させることなんかより、
定義に翻弄されている自分、翻弄され続ける自分を❝自分❞だとしている自分から離れられた感じがする。
構造の中からズボッと抜け出すような感じ、、、これ、違うユニバースが出現?
これが『選択』ってこと?
だとしたら、これを可能にしたのはやはり、
気付きがやってきたこと、なんだなー。
定義の内容やジャッジの内容を書き換えることなんかじゃなくてね。
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