決める時って
なぜバーズ・クラスの開催を辞めようと思ったんだっけ?
なんてことを
最後のクラス告知の準備をしながら、
そう決めた時まで自分の心をたどっていって
ちょっと整理してみた。
(辞めるのはクラス開催で、セッションやギフレシ会は続けます^^)
なんか、‘’そうしたいと思っている‘’ことに気付いたのだよねぇ。
その声に気付いた時は、
❝これは仕事として収入も得ているわけだから、やめるわけにはいかない❞
頭の声はそう言ってた。
クラスををするのが、嫌いになったわけでもイヤになったわけでもないし、
辞めるのに最もな理由は見つからなかった。
でも深いところで『教えるのは一旦終わり』という感じがしているようで、
それを実行する方が、なんかしっくりきた。
そのしっくりきた、という感覚を優先(実行)することをやりたくなった。
これまでを振り返ると、
いつも頭の声を優先してきてたと思う。
こころの声が聞こえていた時も頭の声を選んだのを覚えている。
こころの声の方は、たいてい未来に何の保証もないように見えて、頭の損得勘定に簡単に負けたんだよな。
そして「何の保証もないけど、何となくやりたい方を選ぶ」なんてことは、やってはいけないことだと思っていたよねー
損得勘定で選ぶと、そこそこ良い結果になったように見えても、
どこか、こう、、ウソっぽいというかね。
あの感触、、
自分が求めているものとは決定的に違うと気付いている、ような。
これはたはぶん、手元に現金(大金?)を抱えていてもだ。
あ、いや大金抱えたこと無いか(;^ω^)
それに気付いてるのに、また繰り返したらそりゃアホやろ。
もう、気付きを無視できなくなってきたよね。
これは、アクセス・バーズやらゼニスやら・・・のおかげだな。
だから、辞めるということの先に何も見えないけど、一旦辞めることにした。
大金なんて抱えたことなんて無いから、これも夢物語かもしれんのやけど。
でもそうすることにしたら、意外なことに
先が見えない不安も、それほど気にならなくなった。
相変わらず先に安心できるようなものは何もみえてきてないけど
自分がたくましくなったような感じだけはする。
満足感もある。
それが何になるかもかわらんし、良い未来になるなんていう保証もないけどねー
そして、
ひとつ扉を閉めると、ひとつ扉が開く、、、のかなぁ。
自分の中の満足感だけがその扉を開くのか?
ほんとに偶然に、新しい方向を示唆するようなものに出会ったりするんだなーー。
よくこんなもんが現れたよね?って感じで。
今はちょっと体を休めながら、
それが、本当に自分の望むものなのかを自分に確かめてる。
あ、そーそー
また突如、『バーズ・クラス始めまーす!』なんてことも有りえるってことだなー(*^^*)‘
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