自分を幸せにするという決意
誰かを救うために
相手の目線に降りていくと
もれなく相手のエネルギーを拾う
価値観を生きることは人生の喜びには欠かせないものだけど、
誰かを助けたいという価値感があった場合、
自分を尅さずして相手の助けになるにはどうすればいいのだろう
自分のサイズを相手のサイズに合わせないでいても、
相手の助けになる、ということ。
この辺が曖昧になると(自分の思い込みが、だけど)
相手の目線に降りていくことは
自分を犠牲にして救いにいくようなことで、
その方法は機能しないってことは、もうとっくにわかっているはずなのに、
うっかりすると同じことを繰り返す。
それって、それって、私が幸せなのか??
人は救えても、自分が救えてないよねーーー
自分を守れてないじゃないか
こないだも、ちょっくら発熱したけど、この繰り返しの延長のようだったし、今起きている腰痛さえもきっと同じこと。
誰かの助け・貢献になるという思い(価値観)は消さず、
『だから自分のサイズを相手に合わせます』ってやり方に対する執着を手放す。
それこそが相手のためになるってことだ、という過去の学び=決めつけから抜け出して、
自分も救われながら、相手も救われる、そういう方向にいくこと、
相手の目線に降りていかずとも、お互いがお互いのサイズのままでも幸せになるという世界を実現するって方向にいくことを、
改めて自分にはっきりさせている。
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