どっちでもOK-続き
『どっちでも良かったら何を望む?』
あれでもそれでも、どっちでも良い。
ジャッジしてもジャッジしなくても、どっちでも良い。
だとすると。。
何を選ぶだろう?
このことを真剣にやってみると、
思っている以上に、
想像している以上に、
外側にあるもの…『定義』…に依存しているってことに気付かされる。
定義は真実でなくて、ただの定義でしかないのにさ。
さらに、定義は真実ではないと知っていたとしても、
定義に自分を合わせたり、合わないからとジャッジしたりしてる。
自分がその定義にがっつり依存してる。
『知っていること』と『行動』が一致していない自分がいることが、
そこがホントに見えずらい。
そこに気付かなければ、
変わりゆく世間や誰かの定義に翻弄されるだけの一生になるかも。
それって、とてつもなく恐ろしいことだと感じているのよね。
さて。
選択の基準が『定義』でなければ、
何を基準にするか?ってことになるよね。
0コメント