予言は絶対?
こないだせっかく作ったお弁当を忘れてきてしまい、セブンイレブンにお昼ごはんを買いに行っていた途中の十字路(!)で、友人とばったり遭遇。
「久しぶり~!最近どうしてる?」
から始まった、お互いの近況報告。
そして、彼女からとても興味深い話しが聞けたのです。
彼女の身内には、現在闘病されている方がいらっしゃるのだけど、その方が
「無理だって言われたんだけど、アメリカに旅行に行けたのよ~!凄いよね!」と。
誰に「無理」だと言われたのかというと、
その腕に評価の高い『霊能者』さん、そして『お医者さん』なのです!
ちよっとーーーーーー!
細木数子に「あんたダメよ」と言われようが、
織田無道に(古っっ)、冝保愛子に(なんでや;)、安倍晴明に((;^ω^))、空海に(おいおい!!)
不可能だと言われようが、
それを不可能にするのも可能にするのも、
自分なんだってことじゃないのか!?
(後半二人に関しては、きっと分かっている?無明の私たちをからかってる気がしなくもない。)
それくらい、自分が自分(であることの力)を許していれば、
不可能なことはないんじゃないだろうか。
これを奇跡というのであれば、
奇跡とは誰かではなく、自分が起こすものなのでは?。。。
もうさ、
誰かの予言や、誰か(すごそうな人)に何か言われたとしても、
それは可能性の中の一つではあるのだろうけど、絶対ではないのよ。
誰かの言葉に、何年も何十年も怯えなくても大丈夫なんよ。
『自分』には、それを変えていける、他の可能性をつかみに行ける「力」が備わっているんよ。
肝心なのは、それを求め続けるかどうかってだけで。
今回のこの話し、自分の中の確信において大切な一つのピースを手渡されたような気がしたのよね~。
以前からも、どこかで気付いていたし、実際そのカケラのような出来事もあったのだけど、それはただの考えすぎか期待からくる錯覚かも、と、心の奥底にしまい込んでいた。
でも最近、こんなふうなことが、ごく身近でも頻繁に起きている気がするのだけど、みんなはどう感じてる?
この気付き、もう無視できないな。
今って時代、みんながそのことに一斉に目覚めつつあるような時代でもあるんじゃない?
『観る』ってことにおいては、
本当に全部が観きれた時には、
全てが可能である、ことしか観えないんじゃないか、
そして、それを不可能なことにしているのは、自分の中で信じている‘’制限神話‘’でしかないのではないだろうか。
自分が自分に出す‘’ダメ出し‘’も、そんな‘’制限神話‘’の一つでさ、それだってどっかの霊能者や宗教家に言われたのと同じくらいの、いやそれ以上の力があるよね。
真実において、私たち人間存在っていったいどんだけ可能性の固まりなんだろう?
この制限から抜け出せた時、どんなことが起きる?起こせる?
ちなみにだけど。
今、私がプライベートセッションやクラス展開している、アクセス・コンシャスネスのバーズやボディプロセスなんかは、そんな自分に気付き、その状態に在り続けるためのものなんだけど、
その『力』そのものである『自分で在る』ために、
修行とか、努力とか、そういうことをしませんの(*^^*)
だって。目があったり鼻があるために、努力してないやん?
そゆことーー
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