二極から抜け出すちょっとしたコツ
思いがけずはまっているものよ、二極の罠に。
ほんとにわずかな差なんだけど、
二極の中と外とでは、もーーーー全てが違ってくる!
ので、ここにハマらないはとても大切なポイントだと思うんだなぁ。
「私は神経質だ」
「私は気が利かない」
だと、
大抵は、
その原因をさがしたり、
そうならないようにしたり。
これだと、二極を行ったり来たりなだけ、、、、
「神経質」も「気が利かない」のも、
ダメなことなのか?
ここがきっと二極の罠なのだ。
そして、抜け出すポイントなのだ。
「神経質」って、
『ものすんごく高い気付き能力』なんでは?
「気が利かない」って、
『ものすんごく大らかで大事なことだけをつかみ取る天賦の才がある』とかでなくて?
それを見ている視点の違いだけじゃない?
二極に閉じ込められると、
「神経質」の原因を探してさまよったり、
「気が利かない」を「気が利く」に修正しようとしたりして。
それってさ、
自分とは違う誰かや何かになろうとしてるんじゃない?
自分の力を捨てていくことになるんじゃない?
ここで踏みとどまるのだ!
そして、
『ものすんごく高い気付き能力』
『ものすんごく大らかで大事なことだけをつかみ取る天賦の才がある』
のかもしれないって視点から見て、
否定して手放そうとしていた自分の力をぐぐぐっと自分に引き戻したら、
そこで満足するだけじゃなくて、
次はその能力を、
ただ「神経質になる」ことや「気が利かないように」なるという表現だけにとどまらないで、もっと素敵なことに使えるように拡大させて磨き上げていく方向に、歩を進めればいいのだよ。
もっと大きな可能性に向けてさ。
大谷選手みたいにさ。
そうでないと、その「神経質」や「気が利かない」という視点で創られる現実で、いちばん不利益をこうむるのは、他ならぬ自分自身な気がするよ。
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