視ること
「視力」に関するプロセスをやっていると、
こんな記事が目にとまる。
『一人の人間は、我々が「宇宙」と呼ぶ全体の一部、時間的、空間的に制限されている一つの部分である。
人間は、自分の思考や感情を、他の部分からは独立したものとして経験するが、これは一種の錯覚、すなわち人間の意識が視覚によってだまされているのである。』
~アインシュタイン (英知の海・宇宙 日本教文社 アーヴィン・ラズロー著)~
愛してやまない『奇跡講座 (中央アート出版社)』の中には、こんなところが。
『自我は兄弟についてのあなたの知覚を肉体に限定しようとするが、聖霊はあなたの心眼(ビジョン)を開放し、神にまで達するほどに果てしない大いなる光線が兄弟たちから放たれているのを、あなたに見せようとする。聖なる瞬間に達成されるのは、この心眼(ビジョン)への移行である。』
~第十五章 聖なる瞬間 Ⅳ聖なる瞬間と神の魅力~
心眼(ビジョン)を開く、、かぁ~
目の「知ってる」から、
もっと大きな自分が「知ってる」へ。
ま、個人的にそう感じてるだけ、だけどね。
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